株式会社YSM
Darich事業部 ディレクター
今の自分がいちばん好き。
胸を張って言える生き方を。
新たなブランドを導くプロデューサーとして。
株式会社YSM AméliaMoi事業部 プロデューサー
H. Asai
大学時代、Darich名古屋店でアルバイトを経験したのちに新卒でYSMに入社。Darichのプレスとして2年間働く。その後、別のアパレル会社に転職するも1年ほどで再入社。AméliaMoiの立ち上げにプロデューサーとして参画する。
YSM Group に辿り着くまでの道のり
働くなら一番好きなブランドで働きたい。Darichの求人が出るのを待ち焦がれていたほど、根っからのDarichファン。
念願叶って大学2年生の頃から名古屋店でアルバイトをしていました。
扶養の限度額ギリギリまで働く場合、出勤できるのは週に2~3回程度。出勤日以外でも、ブランドのためになることがしたくて、個人のアカウントをつくり、SNSで情報発信をしていました。やればやるほどフォロワーが増え、店頭に会いに来てくれるお客様も増え、数字として目に見える形で結果が出るのも楽しくて。気づけば大学生活のほとんどをDarichに捧げていました。
普通の四大に通っていたこともあり、父親はいわゆる一般企業に就職してもらいたいと思っていたようです。他の会社も一応は見てみようと、繊維商社のインターンにも参加してみたのですが、全然トキメキを感じられなくて。自分の「好き」という気持ちに正直に生きようと、YSMに新卒で入社することに決めました。
誰かに「トキメキ」を届けるために、大切にしていること。
好きな自分でいるためにも、自分の「可愛い」と思う気持ちを信じきることが、すべてだと思います。私がプロデューサーとして率いるブランド、AméliaMoiのコンセプトが、「可愛いの正解のお手伝い」。
どんなアイテムを選べばいいのか、どんなスタイリングをすればいいかわからない。そんなふうに迷っているお客様に対して可愛いの「正解」を示すためにも、私自身がブレてはいけない。自分を信じられるまで、120%やりきったと胸を張って言えるまで、力を出し尽くすことを意識しています。
実は、AméliaMoiを立ち上げる前、一度YSMから離れて、別のアパレル会社で働いていた時期もありました。ブランドのことは大好きでしたが、その時は心に余裕がなくなっていて。当時の自分のことも好きになれなかったんです。
新ブランドを立ち上げる際、「戻ってきて、やってみない?」と声をかけていただいた時は、一度組織を離れた人間にも、大きなチャンスをくれることに驚くと同時に、嬉しい気持ちで胸がいっぱいになりました。
「トキメキと感動を届けられた」と感じた瞬間。
自分の中で「これは誇れる」と思える仕事はいくつもあります。でも、一番を挙げるなら、やっぱりAméliaMoiの1stコレクションの立ち上げです。
お洋服を決めて、撮影のイメージを考えて、準備をして、そして皆さんに向けて投稿して、発売する。その全部を経験できたことは、これから先も一生忘れないと思います。発売した瞬間は、社長と握手しながら泣いていました(笑)。
今は、AméliaMoiが走り始めてまだ数ヶ月。常に最善は尽くしていますが、もっと良くするためにはどうすればいいか。ブランドのことが頭でいっぱいで、お休みの日も頭の片隅でつい考えています。プライベートでお買い物をしていても、気づけば服の素材を触りにいってリサーチしていたりして(笑)。
業務量もプレッシャーも責任も、一度YSMを離れる決断をした当時より、今の方がはるかに大変だと思います。でも、今の自分が好きだと胸を張って言える自信があります。
これから、どんな誇りを咲かせていきたいか。
AméliaMoiを、もっとたくさんの人に知ってもらうために。いずれは地方でPOPUPを開催し、いつかは直営の店舗を出すのが私の夢です。店舗はお客様との新しい出会いが生まれ、直接の声が届く貴重な場所。
私がかつて店舗でDarichに出会ってファンになり、自分も店頭に立つようになったように。私が感じていた楽しさや、やりがいを一人でも多くの人に届けられたらと思っています。そして、AméliaMoiをひとつのブランドとして確立させていきたいと思っています。
私自身は、圧倒的な知名度もなければ影響力もない。でも、そんな私だからこその輝き方があると思います。会社に期待して任せてもらった分は、期待以上の成果でしっかり返したい。
AméliaMoiが成功事例になることで、他のメンバーにとっても励みになったり、チャレンジがしやすくなると思うんです。YSMは夢を掴みたい人に、たくさんのチャンスをくれる会社。
これから先も、そんな会社の一員として、夢を追い続けます。